松 高嶋雄三郎著

はしがき より

松は日本人の瑞祥の表れ、神木として滲透してきている。古来、縁起のよい食物として、その常緑という点からいっても変わらぬ操の正しいもの、かつ風雪に堪えるものとして、長寿延命に結びついて伝承された。
松は、松竹梅の筆頭に置かれ、日本人の心の象徴として讃美され、親しまれてきた。同時に松の生育に私たちは、先祖の生き方を見てきた。
島国に孤島に生きてきた日本人は、肥料のある筈もない巌上に枝ぶりも見事に聳える松の木に、己の理想像を見出してきたといえよう。
日本人は昔から慶事の中心に松を据えてきたが、これはその信仰の心が暮らしの中に実用化して行ったものと考えられる。。。
神事に、慶事に、また民間療法に用いられ、難治に応用されて助かった例が少なくない。
何百年もむかしの古文書や由緒書、風土記、名所図会をたよりに、私は各地に名松の跡をたずねてまわり、淡々と新しきを知るのである。
新しきとは、高度成長の加熱による土地開発、宅地造成、道路建設、公害渦によって、どれだけかけがえのない名木老樹が枯らされ、伐り倒され、
さらにその背後にどれだけ多くの名も知れぬ樹木が失われてしまっているかを知るのである。
植物なしには生きられぬ人間の怖ろしい行末を思うと、何か枯死する植物が私達の明日を暗示しているように思えて慄然とする。
松を愛し竹を愛し梅を愛し、どの民族よりも植物を愛してきた日本人の筈ではなかったか。。。

こうして調べてきた伝承の松のことであるが、私とても伝承をそのまま歴史だと主張するものではない、しかし、庶民が口から口へ伝承してきたものだということは厳たる歴史的事実であり、文字を知らぬ庶民が口づたえに残してきた伝承・伝説は、まさしく庶民の歴史の集積といってよかろう。伝承はいわば民族の詩で、それが長い歳月の間に、素朴な庶民のなかに芽生え、開花・結実したものだと思うと、伝説も決しておろそかに出来ない。。。

門松も松羽目も、結婚式の篷きょう山の山台に立つ松も、日本人が今日まで何千年の伝承のいたるところで、松と向かい合ってきたのは、松が神霊を宿す神聖な木であり、樹木信仰の対象とされてきたからである。

松 高嶋雄三郎著