【日本の松食史・江戸編】大飢饉から民衆を救った命の糧「救荒食物」と松皮餅

戦国時代の終焉とともに、日本には長く平和な江戸時代が訪れました。武士や忍者たちが戦場で命を繋ぐために活用していた「松食」の知恵は、もう必要なくなるかのように思われました。

しかし、自然の猛威は容赦なく人々を襲います。江戸時代は、天明や天保の大飢饉をはじめ、異常気象や冷害による深刻な食糧難が何度も発生した時代でもありました。

この過酷な時代に、名もなき多くの民衆を餓死の危機から救ったのも、やはり「松」だったのです。

1. 命を繋ぐサバイバルマニュアル「救荒書(きゅうこうしょ)」

米や麦などの農作物が全く育たず、食べるものが底を尽きた時、当時の知識人や各藩の役人たちは、領民を救うために「何をどう食べれば生き延びられるか」を記した本をこぞって出版しました。これが**「救荒書(きゅうこうしょ)」**です。

代表的なものに、江戸時代前期に書かれた『救荒本草(きゅうこうほんぞう)』や、米沢藩(現在の山形県)の藩主・上杉鷹山が作らせた『かてもの』などがあります。

これらの救荒書の中で、最も頼りになる「命の糧」として詳しく紹介されていたのが、一年中枯れることなく、日本のどこにでも自生している松の皮(内皮)や松葉でした。当時の人々は、松葉を細かく刻んで粉末にし、わずかな穀物に混ぜてかさ増しをしたり、松の皮を煮て食べる方法を広く共有し、飢えをしのぎました。

2. 現代に受け継がれる命の味「松皮餅(まつかわもち)」

飢えをしのぐために松を食べる。それは決して美味しいものではありませんでした。しかし、先人たちは生きるために知恵を絞り、少しでも美味しく、安全に松を食べるための調理法を編み出しました。

その代表的なものが、現在でも秋田県の由利本荘市などで郷土菓子として大切に受け継がれている**「松皮餅(まつかわもち)」**です。

【松皮餅の作られ方】

  1. アカマツのゴツゴツとした外皮を削り落とし、その内側にある白く柔らかい「甘皮(内皮)」を剥ぎ取ります。

  2. この甘皮を、木灰(灰汁)を入れたお湯で一晩以上じっくりと煮込みます。これにより、松特有の強い渋みやヤニ(松脂)を取り除き、繊維を柔らかくします。

  3. 柔らかくなった皮を川の水で綺麗に洗い流し、細かく包丁で叩いてペースト状にします。

  4. これを米粉や餅米に練り込み、蒸し上げたり搗(つ)いたりして完成させます。

ほんのりと小豆色に染まり、松の清々しい香りが鼻に抜ける松皮餅。かつては生きるために必死に編み出された「非常食」でしたが、その豊かな風味と、飢饉を乗り越えた先人たちの強い生命力を忘れないための「記憶の味」として、今も人々に愛され続けています。

3. なぜ「松」が民衆を救えたのか?

現代の栄養学や科学の視点から見ても、江戸時代の人々が松を救荒食物として選んだことは極めて理にかなっていました。

松の甘皮には、エネルギー源となる糖質やデンプンが含まれています。また、松葉には豊富なビタミンCやミネラル、アミノ酸が含まれており、極度の栄養失調時に起こりやすい壊血病などの病気を防ぐ役割も果たしていたと考えられます。

松はまさに、神様が日本の大地に植え付けてくれた「天然の備蓄食糧」だったのです。


お松を愛する会では、この松皮餅のように、先人たちが命懸けで繋いできた「松食の知恵」を絶やすことなく、現代のライフスタイルに合わせた形で広めていきたいと願っています。

次回は、いよいよ日本の松食史の最終章。食糧が豊かになった近代以降、松が「非常食」から「健康長寿を支える民間療法(松葉茶・松葉ジュースなど)」へとどのように変化していったのかを紐解く**「近代〜現代編」**をお届けします。