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飢饉の時に松の皮を食べてたそう

救荒植物としての松

昔、お城の周りに松が植えられていましたが、それは、城攻めにあって篭城した場合の食料だったそうです。

白いところが松皮
折れていた黒松

現在で考えれば、食料の輸入がストップしたら。。。ひょっとして、食料不足になるかもですね。
そんな時に
松の皮は食べれるんです。サキイカのような食感だとか
松皮の料理方法を覚えておくのも役に立つかもですね。

また、松が救荒植物である事が以下の資料に残っています。
昔は、飢餓が多かったので有用植物の栽培を奨励するとともに救荒植物の研究や栽培も盛んでした。

享保元年(1716年〜) 「救荒本草」「救荒野譜」「飢餓松皮製法」が作られた。享保の大飢饉
天明3年(1783年〜) 「高鍋藩続本藩実録」天明の大飢饉
「松の皮が食料になるので領民へ知らせた」「先だって松皮を食べるよう仰せ付けられた」というものである。
松は雄松(おまつ・黒松)の皮それも古木が1番よく、雌松(めまつ・赤松)や若松の皮も食べられなくはないが苦味渋みがあってよろしくない。拵(こしら)え方は松の皮を臼で搗き、ひき臼でひいてフルイでふるう。その粉を米の粉、麦の粉に混ぜるが米の粉と松の粉半々、麦の粉と松の粉半々は上々である。松粉3斗に米粉または麦粉1斗を混ぜるのもよい。ただしこの場合は米粉・麦粉を下にし上に松粉を置いて蒸し、搗き混ぜて団子にするというものである。
天保4年(1833年〜) 「指田日記」天保の大飢饉
津軽藩、青森ではアワもヒエもなく松の皮まで食べ尽くしたとあります。
松の皮は、まず薄皮をよく掃き取り、その後下の皮を削り取る。ただし深く剥ぐとヤニがわき出てしまう。これは食べられるものではない。剥いだ皮を臼で搗いて篩にとおす。湯で煮て、鍋のふたをし、一晩おいて翌日布巾でとおし、米やソバの粉とともに団子にして食する。
明治17年(1884年) 「救荒植物集説」文部省報告官報
飢餓が起きたときは、こういう食物を食べなさいと108種の植物を発表してありますが、その殆どが民間薬草として薬になる植物です。松では、花、実、皮が出ている。

松皮餅

松皮餅は天明の大飢饉の際に救荒食として作り始めたとも、矢島藩主の生駒氏が改易前の四国で兵糧攻めの際に作りだしたとも言われています。どちらにせよ、古くから食べられていたようです。

秋田県由利本荘市鳥海地域でのみ作られている“超地域限定”の郷土菓子。お餅に松の皮の繊維が練り込まれている大福餅です。

※この地域限定“和スイーツ”は、上笹子にある「直売所 ほっといん鳥海」で販売されているようです。